シンプルライフを目指した実験
外出自粛中のGWに映画『365日のシンプルライフ』を見た。(http://365simple.net/)
内容は家の中のものすべて倉庫に預け、そこから1日1個ものを取ってくる、という生活を365日続けてみるという実験の話。
アイディアだけでなく、雰囲気や音楽もとても良く、気に入ったので是非見てみて欲しい。
これを見たほとんどの人と同様に、自分もこの体験をしてみたくなった。
ただ、倉庫にものをすべて運び込むのは現実的ではないので、現実的に「一日5個ものを捨てる」という生活をやってみることにした。
映画と同様「ものを買わない」という制約も設けた。(食料品は除く)
現在2週間(14日)経ったので以下記録と感想。
捨てた物の数:150個以上
1日5個なので単純に計算すると70個なのだけれど、
毎日「5個捨てるか!」と収納と向き合うと5個では済まなく毎日10個以上捨てていたので、厳密に計算はしていないが、150個は捨てることができた。
150個捨てても生活に一切の支障が出ていないということにまず驚きだが、それだけ無駄なものに囲まれていたということなのだろう。
また、「捨てる」=「片付け」でもある。
もともと自分は掃除、片付けを毎日続けるということができたことない人間なので、2週間続けられていることにも驚きだし、部屋がきれいな状態をキープできていて効果が出ている。
ものが減ると、その他のものの納まりも良くなってくるから掃除もしやすい。
あと片付けというと「ものをどう収めるか」という方向に頭を使ってしまうがあれはちょっと間違いで、「必要なものだけを適切な場所に配置する」というのが片付けなんだなと気づいた。
部屋がきれいだと部屋を有効活用できるし、
自己肯定感も出てくる。
特に服は気に入らないのを多数持っていて、もったいないから、と着ていたものが多かったが、そういったものを捨ててしまうと、毎日お気に入りの服に身を包めて、嬉しい。
ものを捨てる時「まだ使えるし着れるしもったいない」って思ってしまうと捨てにくくなるが「こいつは役割を果たしたんだ」って考えると捨てられるようになる。これは誰かが書いてたけどソースは忘れた。
以下辛いこと。
映画では欲しいものがあったら倉庫から取ってきたり誰かから貰ったりしていたが、
ものを減らしていくベクトルだけで実験しているので、欲しいものが出てきたときに調達できなくて、もどかしい。
ゼロからものを増やしていくという映画の実験のほうが、どんどん幸福になっていく感じを経験できて楽しいのだろうなぁと。
だからやる気のある人なら映画のように倉庫にものを入れてみるのをおすすめする。
あとは部屋が複数ある人は一部屋を物置にして、一個ずつ取ってくるとかできると思う。
または引っ越しする人であれば、1ヶ月重複して部屋を借りている期間を作って、その期間に試してみるとか。
あと、買い物にはストレス発散の意味も自分の中であるし、生活を良くするためにあれが欲しいと思っても制約のために増やせず、生活が良くならない、というのは違う気がしてきた。
ということで、2週間続けたのでここからは「ものを買わない」を「ものを買う場合はその数の分必ずものを捨てる。」という制約に変更して実験を続けてみようと思う。
おまけで、この映画を見る前に読んでて良かった(掃除を少し進めることができた)本を紹介。
全然別の切り口だけど面白いと思う。
大嶋信頼
片づけられない自分がいますぐ変わる本
コロナウイルスで面会制限
コロナの影響をもろに受けてしまっている。
母は現在末期がんで、入院中なのだけれど。
末期も末期で、つい先日通常の病室から緩和病棟に移った。
緩和病棟ってのは基本的に治すことを目指すのでなく、痛みを和らげながら最後を迎える場所だ。長くそこに居る前提では入れない場所。らしい。
緩和病棟に移るメリットは看護の体制が厚くなる(今の所疑問)ことと、面会が24時間可能になること。
通常の病室では面会が午後1時~8時までと制限があった。
もちろんこの辺は施設によると思うが。
なので、通常の病室だと平日仕事終わりに行けても会える時間が限られていた。
緩和病棟に移れるということで、もっと会える時間が増えるね、と話していたのだが、移った矢先にコロナウイルス対策で面会時間、人数が制限されてしまった。
面会可能時間は午後1時~5時。
面会可能なのは事前に申請された家族3名まで。
という制限が設けられた。
面会する前に体温検査などもある。
母の入院している病院に限らずどこの病院も面会の制限がされてきている。面会自体を禁止している病院も出てきていると聞く。もちろん今の病院でも面会全面禁止になりかねない。
面会人数の制限は残酷なもので、家族3名に含まれなかった友人や祖母は今生の別れとなってしまった。私も会える機会が制限されてしまったし、いつ面会禁止になるかわからない。
コロナなど半分他人事とは思っていたのだけれど、事の重大さは被害者になってみないと気づきにくいものだ。
数ばかりが報道されるが、
その数の裏には無数の悲しみがある。
感染拡大の被害として、このような例もあるということを知ってほしい。そして、個々人が感染拡大を助長しないよう行動して欲しい。自分でなかったとしても、誰かが苦しむのだから。
母にはどうか最後まで寂しい思いをさせないであげたい。
母がガンになりまして
去年の12月の上旬、
母の52歳の誕生日に、母から連絡があった。
「がんみたい。だめかも」
10月から調子が悪かったらしく、がんを疑い病院に行ったそうだが、問題ないですよ、と言われ、
それでも納得できず11月に別の病院に行ってみたが、そこでも問題ないと言われたそう。
12月になり、それでもおかしい、ということで別の病院で検査をしたところ、がんの原発はわからないが、血液検査の結果が明らかに異常値なので即調べたほうがいいと。
医者は言わなかったそうだが、母は長い間介護福祉の仕事についていたため、知見があっただけに、血液検査の結果を見た瞬間にもう先長くないことを悟ったそう。
ただ、見た目には会ってみても何も問題なく、普段通り行動できていたので信じられなかった。体の症状的にも少し痛いというのがずっと続いているだけだったそう。
そこから2週間色々な検査を受け、ようやく原発の場所が見当ついた。がんは原発が発覚しないと治療方法が決められないらしく、原発が見つかるまで怪しい箇所を順番に潰していかなければならないそうだ。ただ検査の予約を取るのにも時間がかかりすぐに検査を行えず時間がかかった。
最終的に原発がわかったのは発覚から1ヶ月過ぎてからだった。
検査からは、かなり進行しているため、すぐに切除して、という段階は過ぎていることがわかっていた。がんは進行具合からステージ1~4で区別されているが既に一番進んだステージ4だった。
ただ、まだ抗がん剤治療によりがんが収まってきた場合には手術が可能かもしれないとのことで、年の変わる前に抗がん剤治療を始めた。(原発はまだ発覚していなかったが、残りの要因の治療薬が同じだったため治療は開始できた。また年末年始の休みに入る前に治療を開始できたのは数少ない良かったことだと思っている。)
抗がん剤は一番強いものを服用した。1年程かけて治療を続けるものだそうだが、副作用がかなり強く、がんの症状とは比にならないほど辛そうだった。治療を始めすぐに急激に衰弱していった。
がんの治療を選ばない人の気持ちがわかったと言っていた。
治療を始め1ヶ月程経ち検査をしてみたが、抗がん剤の効果は出ていなかった。この時点で有効な治療方法はなく、断念せざるをえないこととなった。
ここまで発覚からたった2ヶ月弱。
医者の見立てでは残り1ヶ月。
母が経験上で言うには2~3週間だろうと。
緩和治療を行い延命することはそこから1ヶ月ほど可能だそうだが、母はそれを選ばないと言っている。
私は何も役に立てなかった。何の親孝行もできなかった。もっと家に帰って、母の話を聞いてあげていたら別の病院に連れていけたかもしれない。後悔しても何も変わらないのだけど、悔しくて悔しくて仕方がない。
母は自分みたいに発見が遅れて不幸になる人がいないように、記録を残しておいてね、と言っていた。
私も自分のように悔しい、悲しい思いを他の人にしてほしくない。
仙台(宮城)一泊二日旅行記 2日目
2日目の午前は石巻へ。
ただ駅についてびっくり、電車が一時間に一本しかない。
仕方ないので40分程まって電車に乗り石巻へ。
これ途中で腹壊して途中下車したら一時間待たなければいけないのだろうか、などと思い朝食は食べないでコンビニで軽食を買ったが、電車にはトイレも付いていたので安心でした。
石巻はやや閑散としていて、同じ電車で来てメインストリート?を歩いてるのも私の他に女の子2名だけでした。
石巻日日新聞のやっている「石巻NEWsee」は小さかったけども、震災当時に記者が手書きで書いて学校など人が集まるところに貼っていたという、手書きの新聞が6日?分貼られていて、文字の大きさや情報量が増えていく感じなど1日ごとに変化があり、現地の当時の状が伝わる貴重な資料だった。
書いた記者達のこんな言葉も紹介されていた。
「紙とペンさえあれば、新聞は出せる」
石巻NEWseeは石ノ森漫画館へ行く道の途中だけれども気づきにくいので是非注意して行って欲しい。前を歩く二人組は通り過ぎていった。
石ノ森漫画館の手前の建物でも震災の資料があり、一帯の当時の写真などが見れた。
石ノ森漫画館はちょっと世代的な問題もありわからないのでスルー。
入館料払わなくても見れるところがあるので興味があれば見てみてもいいかも。
館の裏口から裏の公園へ抜けれる。受付のお姉さんのコスプレも見れます。
中洲には公園と小さな協会が一つ。
公園は綺麗だったが果たして子供をここで遊ばせる大人がいるのだろうか?と少し疑問に。
ただ海(川?)面はとても穏やかで、まさか荒れて大津波が来るとは思えないだろうなと思った。
沿岸は全て工事されて綺麗になっていた。
わかりにくいけど中洲から撮った写真。
これで津波が防げるとは全然思えないんだけど。
その後は橋を戻って日和山公園へ。
行く途中とても坂が急で辛いな、と思ったけれどもこの坂のおかげで助かった人もいるのだと思うと、ありがたみも感じた。
日和山公園は高台になっていて街が見下ろせる。
そして見下ろせる街はほぼ全て津波にのまれたところだそうだ。
公園には震災前の定点写真が置いてあり現在の風景と比較できる。
7年経つので目に見える爪痕はないが、街の変わり様は伺える。
山は削られたのか崩れたのか。
震災前と比べればそうでもないが、それでもこれだけ建物があることに驚いた。
大津波が来たらのまれる危険があるかもしれないのに建物を建てるのだろうか。私にはわからない。何らかの防波堤など対策が取られて今は安全になっているのかもしれないが。
新しくマンションを建てていて「何件成約済み!」とでかでかと書かれていたがそれもまた不思議だ。
外に住む私が言うことではないのかもしれないけれども。
不思議だったのは近くに立派なお寺がいくつかあり、この辺りも津波の被害にあっているのに綺麗に残っているな、と思った。もちろん当時は酷くて頑張って直したのだろうが。
7年たった今からでは当時の状況を空で想像するのは難しいなと感じた。
石巻は以上。色々な想いが沸いた。
ただ見に来ている人がとても少ないと感じた。日和山公園に来ているのも5人程でした。公園を降りていると外人が1人日和山公園目指して歩いているのを見た。海外からわざわざ見にきてもらえるのはありがたいことだと思った。
正直怖いと思う。ここに見に来ること自体が。私もどこか怖い気持ちがあった。地震はどこにいても危険があると思う。日本では。ただここは津波で被害を受けている。それにここでは地球の反対で起こったチリでの地震の津波でも人が犠牲になっている。津波は地形的なものだし、あの震災を受けてからもう津波の被害は完璧に食い止められます、ってなってはいないと思う。それに自然災害相手だし予測は外れるかもしれないってのは身に染みてわかっている。
だからここで地震がきて津波が来たら危ないんだ、ってことを知ってるからこそ、ここには来るべきではないのかもしれない。
復興を目指しているんだからそんなこと言うなって人もいるかもしれない。
石巻も震災の被災地ではなく「漫画の国」として観光に力を入れているみたいだし、被災地であることを押し出すのは快いものではないのかもしれない。
ちなみにこの日の早朝にも地震で起こされた。この地にいることから普段よりも怖さを感じた。
多分この怖さ、怯えを感じることは生きるものとして大切なものなんだとわたしは思う。
あと一つ言いたいのは駅で配ってる まんぼうマップ という地図。非常にわかりにくい。メインのスポットがどこに位置するか分かるように書いて欲しい。地図の周りにメインの見所を載っけているが、住所が書かれているだけ。普通A-2とかってマップのどこか分かるように書くと思う。このマップじゃ難し過ぎる。
もう一つ気を付けたいのが帰りの電車も本数が少ないこと。時間には気を付けたい。わたしは全部で1時間半くらいで歩いてまわった。
三陸とかも含め震災の跡地を巡るなら車の方がいいかなと思う。
午後は松島へ。
味はまぁ普通。
カキフライは美味しかった。
途中お土産屋で宮城限定のウイスキー『伊達』が売っていて買うか迷ったけど荷物になるので仙台駅に売ってることを願い、買いませんでした。
松島はただただ綺麗でした。
五大堂は東北地方最古の桃山建築という事でなかなか味がありました。
建て直された歴史的建物って新しすぎて全然ありがたみを感じないのだけれど、こういうずっと当時から残ってる建物っていいよね!
その後は橋で渡って行ける浦福島へ。
クルージングも人気だと思うけど、前にケアンズでグリーン島行った時に船酔いした記憶が新しいのでクルージングは断念。
浦福島はなかなか広く、自然が残っていてここ道かよって道も多く、山登りに来たかのような気持ちになりました。
松島湾を眺められる見晴らしのよいポイントも多かったり、島の中の自然の浜辺みたいのもあり、オシャレな広場もあり、私が写真家だったら1日掛けて写真撮りたいなーって思いました。
あいにく下手くそなのでこんな写真たち
瑞がん寺の参道だけ通って仙台への帰路につく。
参道の木は津波で大分減ったらしい。
ただ松島の何百とある島が自然の防波堤の役割を果たして津波の勢いは10分の1まで抑えられたそう。
有名?なお寺が二つありましたが疲れていたのでパス。入場料700円はそんなに興味なくて疲労がたまっているものにはちと辛い。
帰って仙台で牛タン善次郎の牛タンラーメン
牛タンめちゃ柔らかかった。美味しかったけど牛タンがこの柔らかさなら普通の牛タン定食にすれば良かったかも?
個人的には醤油ベースではなくて、テールスープに麺入れただけのほうが美味しいんじゃないかなぁと思った。
仙台駅のみちのく酒紀行の日本酒自販機なるもので一杯100円で利き酒4種試飲。
日本酒自販機素敵過ぎる。発明したの誰?全国に設置して欲しい!(ちなみに越後湯沢には素敵なのがある)
水鳥記(みずとりき)『ひやおろし』が一番気に入ったので購入。あと宮城限定のウイスキー『伊達』も無事見つけたので購入。
お土産にずんだ大福買って仙台旅行終了!
1時間くらい時間余って帰りの電車早めようと思ったけどどうやらパックで申し込んだのは変更できないそう。
なかなかプラン的には一人旅にちょうど良かったです。
松島でお一人様は見かけなかったけど(苦笑)あそこは綺麗なのでカップルや友人とゆっくり楽しんでください。
以上!
仙台(宮城)一泊二日旅行記 1日目
あまり旅行にはいかないタイプだったのだけれども
働きはじめてお金も有給も増えてきたので旅行に行く機会が自然と増えてきた。
今回は宮城(仙台)に一人旅。
一人旅は今回がはじめて。
個人があげてる旅行記って結構参考になるよね。ってことで参考になるといいなと思いつつ記録。
そもそも、別に宮城に行きたかったわけでもなく、夏休み(有給)をとったけど直前まで何も計画してなかったため、出発2日前で申し込めて直前でも高くなくて~とか諸々消去法で宮城になった。
(旅行行くときは事前に計画立てて申し込みましょう)
宿泊+飛行機or電車 のパックで売られてるものでしか行かないのだけど、飛行機のものは5日前くらいから申し込めないものが多くて不便。もうちょっと旅行会社頑張って欲しい。直前まで予約できるのは需要あるだろうし売り上げにも直結すると思う。私みたいな無計画な怠け者は多いはずだし?
そんなわけでとりあえずガイドブックを携えて、
行きの新幹線のなかでにらめっこする。(無計画)
気持ち1日目松島行って、仙台2日目かなと事前に思っていたが、1日目の天候が雨だったため仙台に。松島は晴れのほうがいいと聞いたので。
で仙台。
9時過ぎに着。
ループル仙台というバスで廻るのが定番のようだが、あまり「伊達政宗の~」「政宗が~」などの歴史的建造物に興味はなく、
ガイドブック見てて気になったメディアテークという建物に行くことにした。
それほど遠くもないと思ったし、
時間もあるのでやっぱり歩いて回らないと!
とバスの一日券は買わず、歩いて行くことに。
途中朝市を横目に歩いていくと東北大を見つける。構内入ってみると
魯迅先生!
教科書で読んだ気がする。確か医者だっけ…
あとでガイドブック見ると医者を志して来たが文学部に転部したとか。
正門付近には魯迅記念館がありました。可愛いオシャレな建物でした。ただ、入りにくかったので遠慮してしまった。
そして正門
字ちっちゃ!控えめ過ぎる東北大学
駅からまっすぐ歩いていたはずが東北大学に吸い込まれたせいで私の方向感覚が狂い(もちろん気づかない)
歩き続けること?分
瑞鳳殿に到着
なんでメディアテーク目指してたのに駅から90度くらい方角違う瑞鳳殿に来てしまったのか。
方向音痴に一人旅は辛いなと。
全然見る予定はなかったが不思議なことに着いてしまったので入場料払って見学。
ループル仙台の一日券があると入場料も割引されるそう。
なのでついでに、一日券買おうとしたら売り切れですって言われた。
なので割引もされずバスの一日券も買えず、あまり見る気もなかったのに辛い。
歩いて瑞鳳殿に来る人は注意(結構遠いので普通はバス使って来ると思いますが)
瑞鳳殿の中は個人的にはあまり見るところはなく。
観光客は多かった。あと雨の日だったので石の階段は滑りそうで怖かった。
戊辰戦争?か何かの慰霊碑があり、戦没者達を慰めるために伊達政宗の祀られる瑞鳳殿の隣に建てた~的なことが書かれていた。
仙台の人には政宗は拠り所だったのかなぁと。
ただ瑞鳳殿の中の建物は全て第二次世界大戦で焼けて今あるものは再建されたものだそう。
そんな心の拠り所にされてるところまで戦争で攻撃してくれなくてもいいのに、なんて思うところもありました。
人もそうだけど思いも文化財も残して欲しいので戦争反対。
次は歩き疲れたのでおとなしくバスで仙台城跡へ。
腹ペコだったので
日本料理「仙臺」でお昼。空いてた。
はらこ飯を注文。いくらが意外とおいしかった。
定番の伊達政宗像と高台からの仙台の街並みを見る。
金鵄鋳像はなかなか面白い形で興味深かった。
ただ地震で落ちてしまって本来の台座の上ではなく(安全のために?)台座の前に置かれていました。(そのように前の歴女が説明してたのが聞こえました)
中に神社がありましたが、やや右翼感が強いかなと。戦艦大和のミニチュア版の展示もやってるそうです。仙台城後の入り口にもでかでかと「美しい憲法を!」的な言葉が書かれていました。
ほぼお昼を食べただけで仙台城跡を後にし、バスで元々の目的地メディアテークへ。
途中美術館が二つあり、行ってみたかったのですが、月曜のためお休みでした。残念。
仙台旅行は月曜はオススメしません。
メディアテークも図書館が月曜のため閉館していました。が一番上の階は入れて、震災に関する記事を展示しているところがありました。
テレビなどで報道されなかった切り口での現地の様子や心情が書かれてる記事もあり、またメディアテーク自体も地震で被害を受けていて、その写真も見れました。
震災の時の写真を展示し続けるのは当時を経験した人たちからすれば辛いことでしょうが、それでも伝えていこう、忘れないようにしよう、とする姿勢に心打たれました。
東北大震災までに津波を伝える碑が何百もあったのに繰り返してしまった、だから私たちは伝えていかなければいけないんだ、
というような記事を読んで悲しくもなりました。
記事の写真も撮り忘れたし原文もはっきり覚えていないので、見に行ってみてください。
ここにあるように300の碑が津波の恐ろしさを伝えていたはずなのですね。
メディアテーク自体は綺麗でオシャレで静かでとてもgoodでした。
メディアテーク前の通りは彫刻も多いそうで公園までゆっくり歩こうと思ったのですが、どしゃ降りになってしまったので断念。
15時チェックイン開始のホテルに15時チェックインしました。
泊まったのは仙台国際ホテル
綺麗だしベッド広くて良かった。ただ、仙台あまり見るものなかったから近くの温泉地に宿取るべきだったなぁーとも。
シャワー浴びて仮眠した後は近くに住む弟を呼び出して呑みに。
酒の穴 鳥心
地酒の種類が豊富で値段も良心的でとても美味しかった。鳥料理はなかなかのもの。
利き酒形式で頼むと種類呑めてオススメ
店員さんも可愛かった。
ひやおろしの『萩の鶴』が一番美味しかった。
1日目はこれで終了。